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ひろしま歴史街道散策くらぶ
2月定例報告会<2014.2.20>
○ひろしま歴史街道散策くらぶ:2月定例会報告 平成26年2月20日(木)


※写真は佐々木先生による「中野砂走の出迎えの松」の解説。

1.開催日時 平成26年2月20日/木曜日
2.講演会場:広島市中央公民館 
3.散策会 :「西国街道と海田市宿」


講演会場を地図で見る(広島市中央公民館:■←googlemap)

(1)講演会 10:00~12:00
○テーマ:「応仁の乱と戦国大名」

・ 内容
 室町幕府成立前の南北朝時代の説明があり、応仁の乱について説明がありました。「応仁の乱」(「応仁・文明の乱」とも呼ばれる)とは、守護大名畠山氏の家督争いに端を発し、更に将軍足利義政の継嗣争い等複数の要因により勃発しました。

 管領家の細川勝元と山名持豊(宗全)等の有力守護大名が京都の堀川を挟み、東軍・西軍と陣を構えて争いました。
九州の一部を除き全国に拡大し、戦乱の影響で幕府や守護大名の衰退が加速し、戦国時代に突入することになった。

 主戦場となった京都は灰爐と化し荒廃し、応仁元年(1467)に起こり文明9年(1477)に集結するまでの約10年間の内乱が続きました。

 この乱をきっかけに発生した戦国大名の出自は様々で、守護大名から大内義隆・武田信玄等が、守護代から陶晴賢・織田信長等が、国人層から毛利元就・徳川家康等が、出自不明は北条氏康等々があります。

 この内乱の終結後に一揆の発生が多く、これが導火線となり「下剋上」が通常化する戦国時代へと加速したのです。
 
(2) 散策会 13:30~16:35 
○テーマ:「西国街道と海田市宿」 天候: 晴一時曇 
  

集合場所:JR山陽本線安芸中野駅13:30  (■←googlemap)


〇今回のルート詳細

 より大きな地図で ひろしま歴史街道散策くらぶ20140220 を表示
    
・散策経路: 出迎えの松~海田町ふるさと館~海田市駅

・内容
 快く晴れた冬空の下で定刻より少し遅れてJR安芸中野駅を出発し、瀬野川沿いの西国街道に入り、参勤交替を終え国元へと帰る藩主を出迎えたことから名付けられた出迎えの松を訪れました。

 貞応2年(1223)奈良東郊春日大社から勧請された春日神社に参拝し、細い中世の灘道(山沿いの道)を通りました。今では石室の一部のみが残る畝観音免第2号古墳を見学し、海田町ふるさと館に入館し、海田町の歴史を語る展示や日本人初の金メダリスト織田幹雄に関する資料を見学しました。

 西国街道を西へと向かい、右手奥にある常本天満宮を遙拝し海田市の街並に至りました。万寿3年(1062)紀州熊野大社より勧請された熊野神社に参拝し、近くにある御茶屋(本陣)跡を見学し、延宝2年(1674)勧請された恵比須神社に参拝しました。かつて脇本陣の役職を勤めていた加藤家跡(海田公民館)や千葉家住宅を表門から見学しました。

 浄土真宗明顕寺にて宝暦2年(1752)鋳造された梵鐘を見学しひと突きし、門前にある大商家の風貌を持つ三宅家の住宅を主人の案内で見学し、清正寺参道入り口にある一里塚跡に至り、旧瀬野川沿いの荒神社・胡神社を巡り、JR海田市駅に到着し解散しました。。


解散場所:JR山陽本線海田市駅 16:35ごろ解散  (■←googlemap)


◎講師・案内 佐々木卓也指南役

(3)開催状況:講演会:21名 散策会:19名

 (4)配布資料:「応仁の乱と戦国大名」:5枚組 「西国街道・海田市ガイドマップ」:1部

5)特記事項:散策会終了後に海田町内にて、参加者15名(うち女性4名)で親睦交流会を行い、本会への想いや要望などの発言があり、次年度への展望となりました。

以上、「ひろしま歴史街道散策くらぶ」平成26年2月の活動報告でした。


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