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ひろしま歴史街道散策くらぶ
3月定例会報告
○ひろしま歴史街道散策くらぶ:3月定例会報告 平成27年3月19日(木)


(写真:甲越峠から広島市内を臨む)

1.日時 平成27年3月19日(木)
・講演会:10時から、
・散策会:13時30分から


2.会場 広島市中央公民館
・所在:広島市中区西白鳥町24-36  ・TeL:082-221-5943


大きな地図で見る■←クリックで拡大検索できます。(GoogleMap)


3.費用 参加費:500円/一人

4. 内容
○講演会:「幕末動乱と明治維新~藩閥政治の成立と広島藩政の動揺~」
・講演会開始時間:10時00分から 
・講演テーマ:「第3弾:大政奉還と明治政府」

・講演内容

幕末に倒幕運動の中心であった、薩摩・長州・土佐・肥前が高官を独占する藩閥政治が開始され、幕藩体制に代わり明治政府の重圧に庶民は苦しみました。土地と人民を全て天皇に返還する版籍奉還が行われ、その後廃藩置県により、江戸は東京、京師は京都、大坂は大阪と改め三府に、72県の下に大区・小区を置きました。蝦夷島は当初開拓使を置き北海道と、薩摩の属国扱いの琉球は沖縄県として独立しました。

明治18年(1885)には伊藤博文を初代総理大臣とする内閣制度も始まり、10省の高級官僚は上記旧四藩が独占しました。同2年(1869)に陸・海軍ができ、東京・大坂・熊本・仙台に置かれた鎮台は、後に六鎮台となり、旭川を加えた後に師団へと改変され、同32年(1899)に全国に13師団が置かれました。脱亜入欧の思想は文明開化に繋がりましたが、その勢いは世界の反発を買い戦争へと向かいました。

市民平等を謳った壬申戸籍は、皇族・華族・士族・平民を定め、神僧職を優遇しましたが、現在にまでおよぶ差別意識を生む結果となり、不平士族の反乱や農民の一揆も相次ぎました。

広島県は広島市を1大区とする安芸9大区と備後8大区を併せ17大区・158小区となり、広島に第五師団を呉に第二海軍区を設置しました。県内には練兵場などの主要施設が建ち、古くから盛んであった鉄産業は造船業へと繋がり、三菱などの軍事関連企業を発展させたのです。軍都建設に伴い全国から人々が集まり、広島市街は近代化・西洋化し繁栄しました。

○散策テーマ:「古代山陽道と甲越峠周辺」  ※天候:晴
・集合場所:「JR山陽本線安芸中野駅」
・集合時間:13時30分
・散策出発地:「JR山陽本線安芸中野駅」
・散策経路:「鳥籠山城跡~品秀寺~畑賀村水害碑~阿弥陀堂~甲越峠~龍仙寺」


散策経路・詳細

「JR山陽本線安芸中野駅からの散策経路・詳細」■←クリックで拡大検索できます。(GoogleMap)


・散策内容

JR安芸中野駅に集合し、古代山陽道にこだわり歩くとの説明があり、鐺絵のある家を過ぎ古代中世の山陽道入ると、阿曽沼氏に護られていた蓮花寺山が見え、農地の間の細道へと入りました。阿曽沼氏居城跡の鳥籠山一帯は、当時いたるところに出城が在ったと推察されます。

海田への分岐を通過し、蓮華寺山の登山道を経て、立派な山門や鐘楼の建つ品秀寺に参り、寺に残る空海の錫杖は住職不在のため見られず、裏手から素晴らしい坪庭を見ることができました。畑賀小学校内に建つ畑賀村水害碑は、当時呉娑々宇山から落ちてきた大岩だそうです。奥畑の分岐を通過し中須賀神社を遥拝し、中国自然歩道に入り休憩した阿弥陀堂一帯は、畑賀の最奥の集落で峠越えの旅人のための茶店があったそうです。

古道は一部通行不可でしたが、忠霊塔を過ぎ車道に出るとその一部を見ることができました。甲越峠からは府中の町並が一望でき、遠く似島や弥山や大野の経小屋山まで眺めることができました。暫く休憩を摂り一気に坂道を下ると、山田の牛祭りの碑が在り稲荷神社前には旧道が通っていました。府中小学校の前身の龍仙寺に参り、本尊阿弥陀如来は室町時代の作と推測され、樹齢500年の老松や勧孝悌碑等がありました。

17時15分に埃宮前のバス停に到着し、無事今回の散策会を終え解散しました。
 

○案内人:佐々木卓也 指南役

5. 備考 
:開催状況 講演会:20名  散策会:15名
:配布資料「幕末動乱と明治維新」③大政奉還と明治政府:5枚組 当日散策地図:2枚組
:特記事項 解散後に広島駅南口にて11名(内女性4名)で、恒例の親睦会を行いました。

以上


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