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ひろしま歴史街道散策くらぶ
6月定例会報告<2015.6.18>
○ひろしま歴史街道散策くらぶ:6月定例会報告 平成27年6月18日(木) 


(写真は天満神社/西区天満町)

1.日時 平成27年6月18日(木)
・講演会:10時から、
・散策会:13時30分から


2.会場 広島市中央公民館
・所在:広島市中区西白鳥町24-36  ・TeL:082-221-5943


大きな地図で見る■←クリックで拡大検索できます。(GoogleMap)


3.費用 参加費:500円/一人

4. 内容
○講演会:「近世社会と広島藩領」
・講演会開始時間:10時00分から 
・講演内容
:「③幕府と諸藩の関係」
 最初に江戸の俯瞰図と城下絵図をかかげて江戸の街並について種々説明がありました。

 「幕藩体制」とは近世日本の社会体制のあり方を、幕府(将軍)と藩(大名)という封建的主従関係を基点にとらえた歴史学上の概念です。

 政治形態としては江戸幕府が最高統治機関としながら、各大名がそれぞれの領地においてある程度独立した統治機構(藩)を形成していることと、米など現物を年貢とする「石高制」を基礎においていることが特徴です。
 諸大名を親藩・譜代大名・外様大名に分け、参勤交替の義務や領国の改易(国替え)により統制したことです。

 江戸初期において「鎖国体制」「知行制」「村請制」等が確立し、武家社会に対し「武家諸法度」朝廷に対し「禁中並公家諸度」、寺社への統制策なども同じく行われました。
 幕府組織としては「親政」と称する将軍自らが政治を行った将軍もあり、基本的には老中を初め「幕閣」に委ねられました。要職には譜代大名・旗本が就任し、複数制・月番制・合議制がとられました。
 行政と司法との区別がなく、「評定所」(老中、寺社奉行、町奉行、勘定奉行が出席)が最高合議機関でありました。

 幕末に至ってこの官僚構造は複雑となり、却って幕府自ら矛盾を露呈することとなり、討幕運動に対する脆弱観を漂わせたのです。


○散策会:「西国街道と城西地域」  天候:雨時々曇
・集合場所:「JR西広島駅前」


散策経路・詳細

「散策経路・詳細」■←クリックで拡大検索できます。(GoogleMap)


・散策出発地「JR西広島駅前」  
・散策経路
:「己斐街並~己斐橋~福島橋跡~天満神社~堺町界隈~
                浄国寺~本川橋~旧中島界隈~広島本通」


:散策内容

 梅雨時の雨の降る中でJR西広島駅を出発し、西国街道の己斐の街並を通り「瀧の観音への道標」を見て、広電の旧電車路線の説明を聞きながら己斐橋を渡りました。

 福島町界隈に入り福島正則の子の八助と「広瀬水入り」の話を聞き、かつて「福島川」跡地の都町界隈を過ぎて「天満神社」に到着し参拝しました。広瀬新開にできた小屋新町に水害や火災が頻発し、当社を有力者により尾長天満宮より当地に勧請したものです。

 天満橋を渡り堺町界隈に入り、老舗「頼山陽煎餅の芸陽堂」の前を過ぎ、市内電車路線を渡り「雲石街道の分岐点」に至りました。坪村家具店前にありました「出雲大社道の道標常夜灯」は有志により、現在は空鞘神社境内に移設されています。戦前の市内電車路線の南の「浄国寺」に参拝し、本堂に上がり阿弥陀如来を拝観し坊守さんの詳しいお話を聞きました。

 江戸初期に架けられた「猫屋橋」(現本川橋)西詰に今も残る「雁木造りの揚場」や「舟繋の石柱」をみて本川橋を渡り、平和公園(旧中島本町)に入りました。「旧町名の説明板」による解説を受け、被爆建物として現在も残るレストハウス(旧大正屋呉服店)にて休憩し、元安橋を渡り「広島市道路元標」の説明を受けました。

 雨が更に強くなったためシャレオ(地下街)に向かい、西端の広場にて集合写真を撮り無事解散しました。

 福島正則の行った広島城下西郊の開発により、己斐橋から本川橋までほぼ直線で結ばれ、西の宿場町が開かれ、本川(旧猫屋橋川)や天満川(旧広瀬川)の舟運が発達し、賑わいを見せました。

○講師案内 佐々木卓也指南役

3.開催状況 講演会:16名 散策会:14名
4.配布資料 「近代社会と広島藩領」③幕府と諸藩の関係6枚組、 散策地図 2枚組
5.特記事項 散策後紙屋町にて参加者10名(うち女性3名)にて親睦交流会を行いました。

以上


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