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ひろしま歴史街道散策くらぶ
9月定例会報告<2015.09.17>
○ひろしま歴史街道散策くらぶ:9月定例会報告 平成27年9月17日(木)


(写真は新宮神社から臨む)
1.日時 平成27年9月17日(木)
・講演会:10時から、
・散策会:13時30分から


2.会場 広島市中央公民館
・所在:広島市中区西白鳥町24-36  ・TeL:082-221-5943


大きな地図で見る■←クリックで拡大検索できます。(GoogleMap)


3.費用 参加費:500円/一人

4. 内容
○講演会:テーマ「近世社会と広島藩領」:⑥広島築城と毛利両川
・開始時間:10時00分から12時00分
 
・講演内容 
 中世の安芸国は鎌倉~室町時代を通じ分権守護の地位にあったのは安芸武田氏で、戦国時代になると毛利氏が台頭しました。毛利元就は次男元春を吉川氏に三男隆景を小早川氏に養子として送りこみ、毛利氏本宗と吉川・小早川両氏を併せ毛利両川体制を確立し、強大な戦国大名として歩み始めました。この体制は元就の孫である輝元が豊臣秀吉に臣従したため、秀吉から結束懐柔計略や元春・隆景の死等により解体へと向かいます。  

 輝元は中国地方9国の112万石を領し、京や大坂の秀吉の築城を知ることで中国山間にある吉田郡山城では時代遅れで、不便であることを悟り聚楽第や大坂城を参考に、黒田如水の意見を聞き大田川河口に城を築くことを決意しました。穂田元清(ホイダモトキヨ)・二宮就辰(ニノミヤナリトキ)を普請奉行に命じ、天正17年(1589)築城を開始し2年後の同19年(1591)に輝元は入城し、未完成であった大手郭は慶長4年(1599)に落成したとされています。

 翌5年(1600)の関ヶ原の戦いで敗れ、徳川家康により周防・長門両国(現在の山口県)に転封され、毛利両川は吉川広家と小早川秀秋の確執を生じ無縁となり、穂田元清の長府藩の成立と陪臣の吉川広家の岩国入城により、かつての両川体制に近い関係が成立したものの、萩藩の成立期に輝元の嫡男秀就が初代藩主となり、事実上解体されました。その後は萩本藩と長府藩の毛利家と岩国吉川家を始め、徳山・清末の支藩の誕生を見たのです。


○散策会:「西国街道と佐伯郡東」  天候:晴時々曇
・集合場所:「JR山陽本線西広島駅」
・集合時間:13時30分
・解散場所「広電宮島線草津電停」

散策経路・詳細

「散策経路・詳細」■←クリックで拡大検索できます。(GoogleMap)


・散策出発地「JR山陽本線西広島駅」  
・散策経路
:「JR西広島駅~広電草津電停」

:散策内容
曇がちで定刻を少し過ぎJR西広島駅を出発し、西国街道を西に向かい右山手にある旭山神社を遙拝し源左衛門橋を渡りました。現在はパン屋になった別れの茶屋(浅野長晟が紫竹源左衛門を訪問)に立寄り、瀬切石の4体の石地蔵を拝み、高須一里塚跡をみて大歳神社に参拝しました。

高須延命地蔵を拝み西に向かい、浅野家配下の武人茶道の家元上田家の屋敷(和風堂)に参り、江戸時代広島城大手郭(現リーガロイヤルホテルの位置)にあった上屋敷(復元)を門外から眺めました。古江村の氏神である新宮神社に参拝し、浜田城下へ向かう浜田往来の分岐にある道路改修碑を見て、四軒茶屋跡を通り古田公民館に立ち寄り休憩しました。

神功皇后の上陸伝説地樽崎神社に参り、草津の町に入り当初は海神で現在は草津東町の鎮守社となっている鷺森神社(弁天社)に参拝しました。日蓮宗慈光寺(草津の妙見さん)に参り本堂にて防守さんの話を聞き全員にお守りを頂きました。草津の古い造り酒屋の小泉家を路地から眺め、嚴島神社の御神酒の銘酒御幸を各自買い求め、前にある明治天皇が立ち寄られた史実を記念する石碑を見ました。

御幸橋を渡りまちづくり交流広場に無事到着し、17時過ぎに広電草津電停にて解散しました。


解散時間:17時15分ごろ

○案内人:佐々木卓也 指南役

5.開催状況 講演会:21名 散策会:15名
6.配布資料 「近世社会と広島藩領」⑥広島築城と毛利両川 6枚組
7.特記事項 
:散策会終了後にJR西広島駅前で参加者11名(うち女性5名)にて親睦交流会を行いました。
:来月の散策会は五日市市街で西国街道を散策する予定です。
以上


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