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ひろしま歴史街道散策くらぶ
10月定例会報告<2015.10.15>
○ひろしま歴史街道散策くらぶ:10月定例会報告 平成27年10月15日(木)


(写真は海老山・塩屋神社)
1.日時 平成27年10月15日(木)
・講演会:10時から、
・散策会:13時30分から


2.会場 広島市中央公民館
・所在:広島市中区西白鳥町24-36  ・TeL:082-221-5943


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3.費用 参加費:500円/一人

4. 内容
○講演会:テーマ「近世社会と広島藩領」:⑦城下整備と広島藩政
・開始時間:10時00分から12時00分
 
・講演内容
 毛利氏の萩転封の後に入城した福島正則は、毛利時代に不充分だった城郭整備や城下町づくりを本格的に行いました。西国街道を大手郭の南に移し出雲石見街道も整備しました。度重なる洪水による被害の修復を行い、幕府から無届改築と咎められ改易させられました。

福島氏改易の後に入城した浅野氏は、城下の普請は特に行なわれず、大規模な干拓事業が行われ都合260年間で当初の城域より5~6倍まで広がりました。幕末動乱から明治維新に至る間に城郭破却はまぬがれましたが、昭和20年8月6日の原爆で灰燼と帰しました。輝元に替わり正則は再び検知を実施し、兵農分離や石高制導入を随時行いましたが、一部に妥協し旧来の郷士制も残しました。

二代藩主の浅野長晟は土豪に対しては、厳しい態度で臨み統治機能の近代化を目指しました。経済的には大坂蔵屋敷との瀬戸内海航路の海運に恵まれ、藩政成立の早期より木材・鉄・紙などの専売制を敷き、米相場を巧みに利用し巨利を得ました。やがて江戸中期には財政悪化が顕著となり、新田開発を積極的に行ったのです。

四代藩主綱長の時代には赤穂藩主浅野長矩が刃傷事件を起し、浅野本家(広島藩)としては連座を恐れましたが、数年後には分家赤穂藩の旧臣を召抱えるようになりました。


○散策会:「新旧西国街道と五日市旧街並」  天候:晴
・集合場所:「JR五日市駅2Fコンコース」
・集合時間:13時30分
・解散場所「JR五日市駅2Fコンコース」

散策経路・詳細

「散策経路・詳細」■←クリックで拡大検索できます。(GoogleMap)


・散策出発地「JR五日市駅2Fコンコース」  
・散策経路
:「五日市まちめぐり散策路:西国街道以南地区」

:散策内容
定刻にJR五日市駅2Fコンコースにて、五日市駅の歴史やアマンジャク伝説の説明を受け出発し、最初に湯蓋の地名の説明板で説明を受けました。

海老山公園にて毛利氏の武将宍戸氏館跡や三十人の墓を見学し、五日市護国神社(貴船神社)に参拝しました。海老山麓を下り江戸時代以前の瀬戸内や八幡川の舟運で賑わった五日市漁港跡を見学し、海老塩浜の守護神である塩屋神社に参拝しました。

江戸初期から明治末期まで製塩されていた海老塩浜の跡地を見学し、佐伯区役所にて休憩をとりました。海老塩浜の堤防跡(中土手)に沿い、新旧西国街道の分岐点にて西国街道と五日市の祭りの説明を受けました。

初期西国街道を西方に向かい、祭神が五柱ある五つ神社に参拝し、光禅寺誓いの松を見学し浄土真宗正向寺に立寄り、創建当時は真言宗で室町時代に浄土真宗に改宗された、旧佐伯郡最大の寺院である光禅寺の山門を潜りました。境内にある文化財の鐘楼と経蔵を見学し、力自慢が鍛錬の時用いたと伝えられる覚潭の手水鉢を見学しました。唐門から出て浄土真宗最広寺に立寄り、五日市小学校東門から最終目的地の五日市公民館に到着し無事解散しました。

『五日市まちめぐり散策路』と銘打ち歴史に彩られた、廿日市や草津の町と肩を並べる五日市の街並を、秋晴れのもと気持ち良い散策会となりました。


解散時間:16時30分ごろ

○案内人:佐々木卓也 指南役

5.開催状況 講演会:24名 散策会:11名
6.配布資料 
「近世社会と広島藩領」⑦城下整備と広島藩政 4枚組 散策地図3枚組
広島五日市ライオンズクラブ発行『五日市まちめぐり散策路』散策用マップ
7.特記事項 散策後に五日市駅近くで参加者4名(うち女性2名)にて親睦交流会を行いました。
当地にて「五日市西国街道散策倶楽部」から3名の参加がありました。
以上


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