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ひろしま歴史街道散策くらぶ
10月定例会報告<2016.10.20>

○ひろしま歴史街道散策くらぶ:10月定例会報告 平成28年10月20日(木)

                                                    


(写真は五日市八幡神社川岸から八幡川上流を臨む)

                                                     

 1.日時: 平成28年10月20日(木)

・講演会:10時00分~12時00分

・散策会:13時30分~17時00分ごろ

2.会場 広島市中央公民館・所在:広島市中区西白鳥町24-36

・開始時間:10時00分

・Tel:082-221-5943

 

3.費用 参加費:500円/一人

・テーマ「近代社会と広島県政」⑦明治維新と広島藩政」

: 講演内容

 慶応3(1867)の徳川慶喜による「大政奉還」は、江戸幕府に移譲されていた政権を朝廷に返上するものであり、江戸幕府の終焉を象徴する歴史的な事件でした。大政奉還の後に「王政復古」の大号令が出され徳川政権の滅亡が決定しました。

 その後「鳥羽・伏見の戦い」が起こり、会津藩は京都での尊皇攘夷派の厳しい取締りがあり、徳川方の首謀者として薩長を中心とする明治新政府から追討令を受けました。会津藩に同情的な奥羽14藩は会津藩赦免の嘆願書を提出するも、明治新政府は「会津は実々死謝を以ての外之なく」という基本方針は既に決定しており、会津藩と新政府の戦いが各地で始まり五稜郭の戦いを最後に戊辰戦争は終結します。

 明治4(1871)に明治新政府は在東京の知藩事を集め、「廃藩置県」を命じ各県には新たに政府から県令が派遣されました。当初は3302県あり何度も変更があり、最終的には明治22(1889)343(北海道は除く)に落ち着きました。

 広島藩においては明治2(1869)11代藩主浅野長訓(ナガミチ)の隠居により長勲(ナガコト)が家督を継ぎ、明治2年の「版籍奉還」で知藩事となり藩政改革に努め廃藩置県で東京に移りました。この時に百姓一揆(武一騒動)が起こったのでした。

〇散策会「都志見往来と八幡川下流」

天候:晴時々曇・集合場所「JR五日市駅北口」

・集合時間:13時30分

・散策経路・詳細


「散策経路・詳細」■←クリックで拡大検索できます。(Google Map)
                                            
・散策出発地「三和橋
・散策経路

:「三和橋~寺田井手~八幡公民館~池田城跡~笛免~五日市八幡神社~八幡橋」

散策内容

 JR五日市駅北口から広電バスにて三和中学校前まで移動し、少しむし暑い曇空の下バス停を出発しました。古代山陽道(影面の道)と同一の山裾の道を少し歩き、県道から三和橋のすぐ下流にある寺田井手(五日市用水路井堰)を見ました。

 県道から八幡方面に進み県道からはずれ旧県道に入り、沼田往来との別れの道標跡から、原民喜の疎開先や八幡川酒造の前を過ぎ、八幡公民館にて休憩しました。

 沼田往来と同一の旧県道を出て新県道との合流地で、中世池田氏の池田城跡(城山)を右に説明を受けました。笛免から八幡川右岸の旧道に沿い、三島食品の遊戯施設を対岸に見て下流に進み、途中で佐々木先生の知人の演歌歌手に出会い歌って頂きました。

 八幡川の付替え地を過ぎ右手にある五日市八幡神社を遙拝し、岡珉山が通った都志見往来に立つ説明板や、八幡橋を描いたとされる八幡川河口にて往時を偲びました。

 本来は八幡橋から川沿いを八幡方面に遡るものでしたが、今回は逆方向を下り散策し、夕映えの近い川沿いにて無事解散しました。

〇解散時間17時00分

〇解散場所「JR五日市駅北口                        

〇講師・案内 佐々木卓也指南役

5.開催状況 講演会:17名 散策会:9名
6.配布資料:「近代社会と広島県政⑦明治維新と広島藩政」6枚組 地図2枚

7.特記事項

散策後五日市駅前にて参加者5名(うち女性2名)にて親睦交流会を行いました。

以上

※興味をもたれた方、詳しく知りたい方は下記の「連絡先」から 記載されているメール・電話番号へ、お気軽にご相談ください。

 
←こちらをクリックで連絡先へ移動します。
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